ICD埋込術当日のこと 2

14:30。

コンビニで野菜ジュースとヨーグルトドリンクと、なぜかカニカマだけ買って食べていると、夫からLINEにて「意識戻りつつあるみたいよ」との連絡が。

急ぎ病院に戻ると、娘はぼんやりながらも受け答えが出来る状態になっていました。


日頃からボケーっとしていますが、それに輪をかけてボケボケした状態でしたが、

母「具合はどう?」

娘「だるい・・・ってか、お腹すいた・・・」という定番の回答(笑)

手術痕はどうかと聞くと、麻酔がまだ効いてるようで「何も感じないよ」とのこと。


とりあえず、首筋には消毒用の茶色~紫の液体の乾いたものが付着していて、油性マジックで書いたような線があったりするなど、痛々しいというか物々しいというか。


15:00のバスで病院を出て、新幹線で仕事に戻るという夫は14:45にはCCUを退室。


母子二人になり、だんだん明瞭になる意識の中で娘は

「あー!お腹すいたよー!」と叫び出し、

「あれ?左腕動かすと痛くなってきた」

「手首のこの点滴が痛い(動脈に刺さっている太い点滴)」

「でも交感神経切除の時みたいにドレーンも導尿管も入ってないからちょう~~~楽!」

と、いつも通りに振る舞う健気さに、「ここで泣いたらいかん!」と、いつも通りのおバカキャラな母で冗談ばかり言っては娘に笑われつつもウザがられていました。


15:00を過ぎる頃、おやつのワゴンがナースステーションに届いたのを見てしまった娘。

「あー!食べたい!早く食べたい!生殺しだよぉ~」

と笑いながらも切ない声で看護師さんに訴えます。


そこに小児心臓血管外科医の先生がいらして、「もう動脈の点滴も外して良いね。この辺の処置が終わったら、おやつ食べよっか。ね。」という声に「早く!早く!おやつ!おやつ!」と小躍りする始末。


16:00にやっとおやつを食べられてご満悦。

そのすぐあとに、「もう一般病棟に戻って良いよ」ということで、一般病棟用のベッドが横に用意されると、「え?歩いて帰れるけど。。。ベッドで運ばれるの?ま、まぁいいか。」と自分の足で一度は立ち上がり、ベッド間を移動し、ベッドの上に体育座りの状態で一般病棟に運ばれました。


徐々に麻酔が切れてきたのか、

「ヤバイ。左腕、動かすと切ったところが痛い。マンガとかスマホとかお茶碗持てないじゃん。」

と、遊ぶことと食べることしか考えていない娘でした。


まだ左腕を動かしたら良くないのもあり、小児血管外科医の先生が何とか固定具を用意しようとその辺にある布類で悪戦苦闘するもどうにもならず、腕を骨折した時に使う三角巾で左腕を吊ることにしました。


が、くしゃみをおっさん(失礼)レベルに激しく上半身全体でする娘。更に前腕が前後に動かせちゃうので、そのたびに娘は「あ、痛っ!しくった!くしゃみの勢いの消し方、わかんないー!どうしよー!」等と叫んだり、「左を下にして寝られない。これ、寝返りする度に叫んじゃうかも?!」とつぶやいたりしながら笑っていました。


トイレにも自分で立って歩いて行けるし、ベッドの上で割とゴロゴロ横になりながらも自由に過ごす姿からは、数時間前に胸を切って機械を入れて、心臓の内側の筋肉にスクリュー状態のワイヤーを2本も差し込んで、傷口を縫い合わせた人には見えない元気さ、明るさ。

腫物でも取れたのか、ただの強がりか。

どちらにしても娘が演じていたい娘でいられるようにするのが親の務め。パソコンの写真を一緒に眺めたり、漫画を読んだりしていると、お待ちかねの18:00。夕飯の配膳。


全部までは食べられなかったものの半分以上を食べ、スマホをいじりながらも「眠くなってきた」と、その日はおとなしく眠りました。

にやにやしながらCCUにておやつを食べる娘。本当に嬉しそうに食べていました(^ー^)

QT延長症候群2型の娘のこと

13歳にて遺伝子検査により先天性QT延長症候群の診断がおりた娘の治療や生活について載せています。 致死性不整脈の1つ、突然死の原因となる【先天性QT延長症候群】。 厚生労働省の難病指定から外れましたが、完治することのない病気です。 5歳から始めたバトントワーリングというスポーツでは、選手として活動してきました。 治療により体調や日々の生活に大きな影響があります。 それでも毎日を元気に生きています。

0コメント

  • 1000 / 1000