ICD埋込術当日のこと 1

前日15:00
普段通りのシャワーの後、最後に体に消毒石鹸を付けて10分放置してから流して上がる、ということがありました。
シャワーを終えた娘はくしゃみ連発。
「10分、寒かった~!足湯したけど寒かった~」と震えておりました。

前日18:00
この夕飯を最後に何も食べられなくなった娘。早く寝て空腹を誤魔化すも、手術当日は朝イチで薬を飲み、2時間前で水を飲むことも終わりとなり、それはそれは苦悩しておりました。

8:45
医師たちが病室に来ました。
別の階にある手術室に、本人、医師、看護師、親子揃ってゾロソロと徒歩とエレベーターにて向かいます。

手術室前室に入ると、名前や術式の確認をし、本人、後ろ手に手を振り
「ばいばーい」
というものだから、思わずいつも通りに
母「ちょっと待て!なんか言うことあんだろ?行ってきまーす!とかさー」
と声を掛けると、医師たち笑ってました。(笑)
娘「あー、はいはい。行ってきまーす。じゃーねー」
母「では、先生方、宜しくお願いします」
と、丁寧に頭を下げ、ドアが閉まるのを見届けました。

廊下に出るとちょうど9:00。

この一年、中学校のPTAでご一緒した娘の同級生のお父様が、何故か娘の応援団1号として、行事の度に素晴らしいカメラで娘の写真を撮ってくださっていました。
そして手術が決まると、その方が個人的に撮ってきた写真の中に娘が写るものだけをピックアップしてくださり、急遽、データを自宅まで届けてくれました。

術中、私は娘の写真をパソコンで眺めていました。
中1の学級対抗リレー。まだ発症前で中2の先輩を追い抜く瞬間の一枚が。
あの時はこんな日が来るなんて思ってなかったなぁ。。。目頭が熱くなります。
中3の学芸発表会。自分が難病であること、だから気がついた「当たり前ということの大切さ」についてのスピーチ。
合唱コンクールで優勝し、大泣きしながらの歌の披露。
卒業式では、隣の女の子が泣き出すと背中を撫で、けれど娘も大泣き。
謝恩会の司会を、いつもの元気な声と明るい表情で仕切り上手にこなす姿。

一方で、時計を見ては、
「そろそろ術前検査終わったかな?」
「そろそろ麻酔が効いてきた頃かな?」
「そろそろメスが。。。」
「そろそろ終わって、術後検査かな?」
なんてことを思いつつ、落ち着かない心を写真を眺めることで落ち着かせていました。

13:00
CCUの看護師さんが来ました。
「まだ本人、麻酔が効いていますが、先生方よりご説明がありますので。」
と呼ばれて眠る娘の姿を目にしました。
左鎖骨下はガーゼで覆われていて見えませんでした。

が、先ずは先生方に「ありがとうございました。」と頭を下げると、
医師「手術は何ら問題なく無事に予定通り終わりました。今後のことですが、」
と、細々説明がありました。

また、胸の下にいれていたループレコーダーは不要になったからということで、取り出されていました。ここにも2針ほどの小さな傷がありました。

心電図の画面を見ると、いつも眠っているときは脈拍数30台が普通の娘ですが、60をキープ。とにかくずっと60。
今まで見たことのない、心電図のP波の前に縦に白い線が入ります。これがICDのペースメーカー機能による電気信号で、これが入ることでP波が誘発されるのだそうです。

一通り終わると、看護師さんから「お昼ご飯まだでしたら今のうちに」と促され、一度、CCUを退室。
夫は「お腹すいてペコペコだ。食堂で食べよう」と言う。
しかしごめんなさい。私は食べ物が口に入るような心情ではなく、
私「ごめん。ちょっとコンビニまでドライブしてくる」
と一人にしてもらい、ひとしきり大泣きしました。

QT延長症候群2型の娘のこと

13歳にて遺伝子検査により先天性QT延長症候群の診断がおりた娘の治療や生活について載せています。 致死性不整脈の1つ、突然死の原因となる【先天性QT延長症候群】。 厚生労働省の難病指定から外れましたが、完治することのない病気です。 5歳から始めたバトントワーリングというスポーツでは、選手として活動してきました。 治療により体調や日々の生活に大きな影響があります。 それでも毎日を元気に生きています。

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