1年ぶりの心肺停止

薬を変えて、意識喪失を起こすことなく過ごしてきた9か月間でした。

薬が効いているのね!

薬さえ飲んでいれば、これで普通の子と同じように生活できるね!

と信じられるようになって、必要に迫られての海外渡航を2連発入れ、1つ目を無事クリア!寝室も別にして、一人での留守番やお友達との外出もOKを出し始めた。

その矢先。

朝、いつもより早く、目覚まし時計が鳴る。

寝っ転がったまま、目覚ましを止めて、足先に付けているパルスモニターを外し、モニターの電源も切って、立ち上がった瞬間にバタン。呼びかけにはもちろん反応しない。

目も口も開き、呼吸も停止の心肺停止状態に。。。

私が冷静さを取り戻したと同時に、咳込み始め、また止まる。

これはAEDか?

と立ち上がろうとしたら、娘が気が付いた。

私「ループレコーダーのスイッチはどこ?」

娘「制服のスカート」

夫に取りに行ってもらう。

受け取ってスイッチを入れ、ループレコーダーの送信機を胸に当てて、データを送信する。

明るい娘。失禁した形跡を確認すると

「あ、これ、発作だね。だって出てるもんね。これで発作の確認できるって便利っていうかなんだねぇ~ わはは!」

その後は、普段通りの生活を送る。。。

「あれは何だったんだ?!本当に起きたことなのか?!」

朝の、ほんの2分も掛からない出来事。

でも、確実に私には電撃が走った。

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朝10時。主治医より電話。

医師「お母さん、朝、何かありましたよね?データが飛んできていて、Tdpが出ています。」

娘を連れて受診。トータル55秒のTdp。途中、心臓はいつもの動きを取り戻そうとするも戻れず、な、心電図。

「これは死ぬかもしれない」

私だけでなく娘も感じることができた確実な証拠。

医師からは「ICD」「ペースメーカー」「神経切除」の説明を受ける。

娘、ぽろぽろと涙を流す。

医師はティッシュを娘の近くに置いてくれて、「自分はどう思ってるのか、自分の言葉で話してごらん?」と話しかける。

娘は「まだ試していない薬を試してみたい。でも、それをするなら入院して始めたい。」

少なからず不安なのだろう。

大丈夫だと思ってたナドロールもカリウムも飲んでいたのに倒れたのだからそれもそうだ。

翌日、どうしても一時間目の授業には出たい、ということで、翌日から薬を増やすための入院の予約を取る。

帰りの車でこの涙の理由を聞いても、娘は「ん~、分かんないんだよねぇ。なんで涙がでたんだろう?」と、明るく、と言う。

母「デバイスを入れるのは、年頃だし嫌だよね?」

娘「なんで年頃だと嫌なの?って感じでその感じ方は分かんない。けど、まだ試してないことがあるし、でもいつかは入れなきゃなとは思ってるから、来年、6月の個人戦が終わったら入れようかなぁと思ってる」

そうか・・・来年の6月まで、無事に過ごすことができれば良いのだけれど・・・

普段は笑いのツボが浅くて、いつも笑ってて、恋に学校生活にスポーツに、真面目に取り組む明るくて元気な中学生です。

でも、何かの瞬間・・・娘の場合は臥位から立位へと姿勢を動かした瞬間・・・に暴れ出す心臓。それがLQT2型の娘の発作の特徴。

これは本当に厄介な病気です。。。

QT延長症候群2型の娘のこと

13歳にて遺伝子検査により先天性QT延長症候群の診断がおりた娘の治療や生活について載せています。 致死性不整脈の1つ、突然死の原因となる【先天性QT延長症候群】。 厚生労働省の難病指定から外れましたが、完治することのない病気です。 5歳から始めたバトントワーリングというスポーツでは、選手として活動してきました。 治療により体調や日々の生活に大きな影響があります。 それでも毎日を元気に生きています。

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